君と歩く未来

「行きたいところがある」
 六月二十二日。セノの誕生日前日。に、日付が変わってすぐ頃。セノは訪ねてきたティナリを出迎えると同時にそう告げた。
「……今から?」
 ティナリは面食らったかのように、数秒置いてからそう尋ねた。空では星が瞬いている。彼の両手に抱えられた荷物はまるでどうするんだとセノを見上げているみたいだ。
「朝起きてからでいい。ティナリも疲れているだろう」
 お茶を淹れるよ、と今度こそティナリを室内に迎え入れた。
「どこに行きたいの?」
 スメールは雨季に入り、湿度が上がり始めた。一方で気温はまだ上がり切らず、特に朝夕はティナリにとってはまだ少し肌寒いらしい。セノは温かいハーブティーを淹れて、ティナリの前に置いてやる。以前ティナリから持たされたものだ。
「砂漠だ。明日明後日は雨林の天気も崩れないと言われている。運がいいだろう?」
 ふふんと得意げに、今日の早朝に発表された日和見の情報を伝えながら、セノはティナリの向かいに座った。
「そうだね。でも、砂漠に行くなら最初からそう言っておいてよ。そうしたら、僕もちゃんと装備を整えて来たのに」
 セノの淹れた茶をひと口。美味しいと小さく呟いてから、ティナリは肩をすくめて言う。
「これは俺のわがままだからな。準備も全部、俺がしたかったんだ」
 ティナリの分の砂漠用装備も揃えてあるよ、と後ろのバックパックを示せば、ティナリは呆れたように息を吐いた。
「どうりで早く呼びつけたわけだ」
 スメールシティから砂漠の入り口であるキャラバン宿駅まではおよそ半日かかる。そこから更に砂漠の中を進むことを考えると、早く発つに越したことはないだろう。慣れない砂の足場は疲労を蓄積させる。予定では小休憩を挟みつつ宿駅まで行き、そこで更に休むとともに準備を整え直して砂漠に入るつもりだ。
「朝ここを発っても着くのは夜になるんじゃない?」
「ああ。それでいいんだ」
 目的は夜の砂漠だ。ティナリも暑さに苦しまずに済むし、セノ自身が夜の砂漠が好きだった。
「明日の夜はどうするの?」
「アアル村に泊まる。既に話はつけてあるよ」
「相変わらず早いんだから」
 頬杖をつきながら、片眉を上げる。
「言っただろう。俺が全部したいんだって」
「そうだけど。……帰りは?」
「同じだ。明後日……もう明日か。明日の朝アアル村を出て戻ってくる」
「そう」
 ひと通りの疑問は解決したのか、ティナリはそこで質問を止めた。
 仕事を終えてその日のうちにガンダルヴァー村を出てきたティナリと仕事を片付けて彼を迎え入れたセノは、共にこれから丸二日間の休暇に入る。これらすべての行程をこなすには、いくら体力のあるレンジャー長と大マハマトラといえど時間だけはどうすることもできないのだ。
「いいよ。君の誕生日なんだし、君の好きにしなよ。僕は一緒にいてあげる」
 その言葉がセノの望んだすべてだと、ティナリは分かっているのだろうか。
 もちろん自身の生まれた日に、自身の生まれた砂漠に行くことに意味はあった。だが結局は、ティナリと共に過ごせるならなんだっていい。スメールシティでのんびり過ごすことだってできる。隣にティナリがいれば、それだけでセノの世界は色をつけるから。
「ありがとう。なら早く休もう」
 明日は早い、と頷き合って、数刻もしないうちに灯りを消した。

「そういえば、ジュライセン先生に顔を見せなくていいの?」
 日の出前にセノの家を出て北側の門からシティを出発する際、通りがかった養父宅を認めたティナリが尋ねてくる。毎年、セノが誕生日にこの家に帰ることを知っているのだ。
「明日、帰ってきたら顔を出すよ」
 かつて自分が育った家を後目にそう返しながら、ティナリと並びシティを出る。明日の夜、砂漠から戻ったらあの家に帰るつもりで約束は取り付けてある。
「そうなんだ。先生きっと喜ぶんじゃない?」
 どうせしばらく顔見せてないんだろ? と図星を突かれては、返す言葉もない。多忙を理由に、あの家にはずいぶん帰っていない。忙しいは別に言い訳ではなく事実だ。それにセノが家に行かないというだけで、時々知恵の殿堂にやって来るジュライセンとは教令院で顔を合わせることもしばしばだ。だが、セノに家族というものを教えてくれた養父とその家に帰るという意味を理解できないほど、セノは人間から逸脱してはいない。
「そうだと嬉しい」
 昨年の誕生日にあの家に帰った時の養父の顔を思い出すと、自然と頬が緩むのを感じた。
 晴天の雨林を西に進み、少し視界が開けた辺りから南下する。丘の上にある七天神像のすぐ隣で休息を取り、パルディスディアイが北に背負う山を西から迂回してヤスナ幽境方面へ向かう。幽境の水辺近くで早めの昼を食べ、アパーム叢林を通り抜けた。途中で西に伸びる道に逸れ、道なりに行けばキャラバン宿駅は見えてくる。高低差の激しいスメールの土地は、たとえ街道に沿って歩いたとしても坂道を上ったり下ったりすることが多い。野生動物たちの生息地が近いこともあり、彼らを刺激しないよう、できるだけ大きな音は立てないように気を付けて。セノが前日のうちに用意して切り分けておいたタフチーンと、ティナリが朝起きて超特急で作ってくれたピタは昼にそれぞれの腹へ吸い込まれていった。
 十分な休息と夕食をとり、砂漠入りの装備を整え直して空が赤く燃え始めた頃にキャラバン宿駅を発つ。シティから宿駅への道のりに比べれば、ここからアアル村への道は少ない時間と距離で済む。空には今にも落ちてきそうなほどの星が瞬き始めた。ここからどこへ向かうのかを、ティナリには言っていない。とは言っても、そう遠くへ行くわけではなく、村を通り抜けてすぐ、遠くにキングデシェレトの霊廟が見える高台でセノは立ち止まった。
「着いたの?」
「ああ」
 セノの自宅を出て実に十八時間を超える大移動だ。
 振り返り、手を広げる。はく、と口を開いて息を吸い込む。昼間の熱気はどこへ行ったのか、ぬるい空気が肺を満たす。
「ここが、俺の生まれた砂漠だ」
 背にした砂に覆われた大地が風に吹かれる。
「砂漠は静寂と死の象徴だ。生命はいずれ砂に還るだろう。俺は、ここを寂しい場所だと思う」
 はじめは怪訝な顔で何か言いたげだったティナリも、今は黙ってセノの言葉に耳を傾けている。
「それでもティナリと一緒に俺が生まれた地へ来たかった。この砂の大地をティナリと踏みしめて、俺が歩いてきた道と、これから歩む道を一緒に歩きたかったんだ。お前と砂漠に来るのは初めてじゃないが、今日みたいな日にはわがままを聞いてほしかった」
 祖先が砂漠で暮らしていた少年の目を真っ直ぐに射抜く。ティナリはフードの下でわずかに首を傾けた。思えば二人とも、ルーツは砂漠にある。
「まるで、セノが今まで僕にわがままを言ったことがないみたいな言い方だね?」
「少なくとも頻繁に言ってるつもりはないよ」
「この旅自体、君のわがままだろ?」
 もっともな指摘に思わず言い返す言葉を探していると、先にティナリが口を開いた。
「セノ」
 その声からは感情が読み取れない。
「なんだ、ティナリ」
 視線がぶつかり合う。ティナリの、砂と新緑の大地の色の瞳が少し細められた。
「僕の未来を君にあげるよ」
 瞬間、世界が止まったような気がした。思わず目を見開く。
 望んでいないと言えば嘘になる。だが、その言い方ではまるで――
 ざくり、ざくりと音を立ててティナリが歩み寄ってくる。手を伸ばせばすぐ触れる距離にティナリがやってくる頃にようやく声を絞り出すことができた。
「それ、は……」
「あれ? 違った? これから歩む道を一緒に歩きたいって、そういうことだと思ったんだけど」
「違、わない。だが――」
「なら問題ないね。僕らが求めているものは同じなんだから」
「同じ……」
 両の手をティナリに取られる。月と星の光に照らされた親友と向かい合って、繋いだ手に視線を落としながら言われた言葉を反復する。
「セノ」
 顔を上げて、と呼ばれる。
「少し早いけど、誕生日おめでとう、セノ」
 そう笑って、唇同士が触れ合った。

「セノさん」
 翌朝早くアアル村を発つ直前、キャンディスに呼び止められた。
「キャンディス」
「また是非遊びにいらしてください。ティナリさんも一緒に。アアル村はいつでもあなた方を歓迎します」
 親切で聡い彼女は「遊びに」という部分を少し強調して言った。普段セノが砂漠を訪れる時はたいてい仕事関連だと知っているからだろう。犯罪者を追ったり、砂漠の教育に関して助力をしたりと、セノは職務上何かと砂漠へは足を運ぶことが多い。
「ああ」
「ありがとう。次はもっとゆっくりできるといいな」
「そうですね。またお会いできる日を楽しみにしています」
 お気を付けて、と手を振る彼女に別れを告げて、昨日歩いた道を戻る。
 昨夜は日付が変わるまで砂漠に二人で並んで座っていた。何をするでもない、取り留めのない話をして、流れていく砂と星を眺めて、ただそれだけだ。それだけで十分だった。隣にいてほしいと望んだ男は未来を約束してくれた。……当然彼はセノの未来を寄越せと要求してきたが、対等な等価交換だろう。いや、そうではなく、これは双方にとってこれ以上ない贈り物であり、同時に枷なのだ。
 ティナリはセノに、彼の未来と同時にセノの命をくれた。自身に頓着しないセノの命を繋ぎ止める楔となり、セノの生きる理由になると約束してくれた。ずいぶん重たい誕生日プレゼントだなと零せば、自業自得だよと睨まれてしまった。それでも、繋いだ手は互いにずっと離しはしなかった。
 つくづく砂漠に咲く一輪の花のようなやつだと思う。その存在だけでセノにどれだけの希望と光を与えてくれているのかを、彼自身は自覚しているのだろうか。
「安心してよ。シティに戻ったらちゃんと用意してきたプレゼントをあげるから」
 肩越しに悪戯っぽく笑ったティナリはどんなプレゼントを準備してくれたのだろう。想像するだけで、帰路さえも浮き足立った。

君と歩く未来