クリフサイド・キャンプの駐屯地を離れ、僅かな休暇の機会にピラミダの自宅に戻っていたある日の午後だった。
チャイムが鳴る。幼馴染のパイヴォとジョアナ、それに養父のニキータはチャイムを鳴らさずに直接ドアを叩くので、この家のチャイムが鳴ることはそう多くない。その音を聞くのも久しい。
「イルーガ坊ちゃま、いらっしゃいますか? フリンズです」
「フリンズさん?」
追いかけてきた声に少し驚いて、玄関扉へ近付く。扉へ足を運びながら、無意識に最近部屋に新しく加わった光へ視線が移った。……やはりここには少し不似合いだ。
玄関を開けると、そこには先程名乗った通りのよく知る顔の人物が立っていた。大きな紙袋を抱えて。
「ど、どうしたんですか? あっ、とにかく入ってください」
二、三歩下がってフリンズを招き入れる。
「では、失礼します」
恭しく、まるでオーケストラを指揮するかのように、フリンズの空いている方の指が優雅に舞う。彼はそれを胸に当て軽く腰を屈めた。
美しい仕草が似合う。腕一本であろうと指先僅かであろうと、フリンズが動くと小さな光がパチパチと舞うようだ。この無骨な家には不似合いだな、とぼんやりと思う。優雅でどこか浮世離れした雰囲気のフリンズには、現実ばかりがひしめき合うピラミダの町も、イルーガのこの家も、どこかちぐはぐに見えてしまうのだ。
「フリンズさんがうちに――というか、ピラミダに来るなんて珍しいですね」
「ええ。ニキータ様に話があるからと呼ばれまして。書面ではなく直接お話しされたいとのことでしたので、こうして参りました」
フリンズは抱えてきた紙袋とテーブルを軽く示しながら、こちらに置いても? と尋ねてきた。イルーガは好きに掛けてくださいねと伝えながら頷き、茶を淹れるために一度背を向ける。
「そのニキータ様から、坊ちゃまにこれを届けるようにと仰せ付かりまして。帰りに立ち寄らせていただきました」
フリンズの言った「これ」とはまさしく彼の抱えていた紙袋だ。中身はおおよそ食材だろう。
「そうだったんですね。わざわざありがとうございます。義父さんってば、僕を呼び出せばいいのに、フリンズさんにおつかいさせるなんて……」
「いえいえ。僕も坊ちゃまにお会いできて嬉しいですよ。普段は坊ちゃまが夜明かしの墓に来てくださいますが、たまにはこうして僕があなたのご自宅に伺うのも新鮮ではありませんか」
彼の言葉には偽りはない。それは僅かに弾んだ声音が物語っていた。少なくとも、このフリンズという男が珍しい物事や面白そうなことを楽しむ性質であることに間違いはないのだから。
「それは、その、確かに君にとってはそうかもしれませんね」
マグカップに二人分の茶を淹れて、フリンズの元へ向かう。
「……おや」
顔を上げたフリンズが、ある一点で視線を留めた。
「坊ちゃま、あちらのランプ、近くで拝見しても?」
そう問う目は少し輝いていた。好奇心に満ちている。
「構いませんよ。どうぞ」
フリンズは立ち上がり、ゆっくりとした足取りでランプを置いたキャビネットへ向かった。分厚い靴底が、カツン、カツンと床を踏む足音が鳴る。
彼は古銭や古い宝石を集める趣味を持っている。美しい民芸品も当然、関心の対象らしい。
「坊ちゃまがこのようなあしらいの物をお持ちとは、珍しいですね」
ランプを覗き込んだフリンズは最初にそう漏らした。
彼の言う通りだ。イルーガの持ち物に装飾の凝ったものは多くない。この家も――任務の関係上、駐屯地にいる時間が多いことも関係しているが――飾り気がない。フリンズの目には、この家にこのランプはさぞ不釣り合いだろう。
「先日ナシャタウンで見かけて、つい」
あれは、そう。二週間ほど前にナシャタウンを訪れた時だ。ナド・クライの地に起きた危機をきっかけに結成された連合会。イルーガはライトキーパーの代表として、その定例会議に出席している。会議場所はその時々で異なり、今回はフラッグシップ。当初は酒場で真面目な会議というものができるのかと個人的な懸念もあったが、会議後の酒宴を褒美にと、参加者はみな話し合いの場では真面目な面持ちだった。
会議も終わり、酒が回り始めた頃に、イルーガはフラッグシップを抜け出した。互いの親交を深めるためと理解はしているが、酔っ払いの世話は専門外だ。ナド・クライはその土地柄故か、強い酒を好む者が多い。中には少々厄介な酔い方をする者もいるため、自分の身は自分で守らなければ。
港へ続く坂道を下りる。海の近くで汐風に当たりたい気分だった。
「さぁーーーーこちらスメーールからお持ちしました、職人の手による工芸品の数々ですわーーーー! 是非是非是非、ご覧くださいまーーし……! うふふふふふふ」
ひときわ耳に届く声が呼び込みを行なっているようだった。壁と屋根に囲まれたトンネルの中に声が響いている。内容から察するに、スメールから来た商人だろうか。
「当店は、本当〜〜〜〜に価値のある物しか取り扱っておりませーんの! 損はさせませんわよぉーーーー!!」
坂を下りきった正面に、その店はあった。
普段なら足は止めなかっただろう。気にも留めなかったかもしれない。でも、偶然見えたそのランプから、イルーガはなぜだか目が離せなくなった。
「フリンズさんみたいだ……」
無意識だった小さな呟きは、雑踏の中に消えていく。でもそれは波紋のように、イルーガの心の中にじわじわと広がって、気が付くとランプの前に立っていた。
近くで見るとより分かる。中で揺れている灯は珍しい青い炎で、よく見かける四角柱の ランプではなく、五角形の柱は上にいくほど広がり、その上は角錐となっている珍しい形だ。そのシルエットに曲線はないはずだが、ころりとした印象を受ける。ガラスの表面にはでこぼことした加工が施されおり、揺れる炎がきらきらして見えた。それらを支える黒鉄も、細かく引き延ばされたり小さく切り落とされたパーツが繊細な模様を織り成している。植物の蔓を表現しているらしい曲線は優美だが、不思議と弱々しい印象はない。しゃらりと揺れる小さな鎖には、小さな鉱石や真珠が控えめながらもきらきらと揺れている。美しいながらも温もりを感じるのは、きっとそれがライトキーパーの象徴であるランプだからなのかもしれない。
「あら? あらあらあらあら? お客様、こちらのランプがお気に召しましたの? もしほかのものと一緒にご購入いただけましたーら、なんと! 二十パーセントオフ! に、させていただきますわーよっ。うふふふふ。いかがですぅ?」
店主は独特のリズムで声をかけてきた。でも、イルーガの心は決まっていた。
「いえ。こちらだけ、いただけますか?」
「それはそれは、随分お気に召したのですね」
フリンズはイルーガの返答を聞き、ランプから目を離すことなくそう相槌を打つ。ほんの少しだけ、声音が硬いような気がした。
「気に入ったというより、その……」
イルーガもランプの方へ歩み寄る。
そうじゃない。ランプそのものは確かに綺麗だ。でも、それを気に入ったから買ったわけではない。
手を伸ばしフリンズの視界を遮って、そっとランプを持ち上げる。
「このランプを見ていると、なんだか君のことを思い出すんです」
君のランプと同じ、青い光だからでしょうか?
そう言うのが少しだけ照れ臭くて、困ったように笑ってしまった。