学生時代

 その日、彼を見かけたのは偶然だった。だがその姿を見てふと、ある欲が湧き上がった。
 自身のそれとよく似た、だが作り物の高く立ち上がった耳。遠くから見えた様子に、なるほど、他人から見た自分もこんなふうに映るのか、と他人事のように思った。
「こんにちは、大マハマトラさん」
 その持ち主に、気軽に声をかける。周囲の学生はぎょっとした顔を浮かべる者、好奇の目で見てくる者、驚きに目を丸くする者などさまざまだ。だがいずれにせよ、皆遠巻きに見ているだけで近寄ろうとはしない。見せ物じゃないんだけど、と僅かな不満を胸に抱きつつもティナリは続けた。
「今時間はある? 一緒にお昼でもどうかな?」
 ざわめきが大きくなる。ぴくりと自分の大きな耳が動いた自覚があった。だがこれはティナリの意思とは関係なしに動いてしまうものなのだ。
 周囲の反応を見てか、一拍。高耳のもう一人の持ち主はティナリを一瞥し、口を開く。
「いや、俺は――」
「ほんと? よかった! じゃあ早く行こう」
 断るであろうことは分かっていた彼の言葉を遮って、腕をぐいと引く。
「あっ、おい!」
「ほら、早く早く!」
 抗議の声を無視して、ティナリは食堂へと向かった。

「それで、なんなんだ」
「なにが?」
「…………」
 向かいに座った大マハマトラの仏頂面をものともせず質問に質問で返して、ティナリはキノコ炒めを頬張った。ここのキノコ炒めはティナリからすると香辛料が多く、味が濃い。学生食堂のため大衆に合わせた味付けをするので仕方ないのは分かっているが、苦手なことに変わりはなかった。
「俺に用があるんじゃないのか? でなければ、あんな強引な手段で連れてこないだろう」
「うーん、用はあるけど、特筆するような用事ではないかな」
「は?」
「君と話しがしたい、それだけだよ」
 手短に、ティナリは自身の用件を告げる。
「君は僕のことを勝手に調べてくれたようだと、僕は君のことをほとんど知らない。それって不公平じゃない? それに僕も学者の端くれだからね、好奇心はそれなりにあるんだ。端的に言うと、君のことが知りたいんだ」
 そこまで言うと、再びキノコを口に運ぶ。思わず顔を顰める。
「何故」
 それでもまだ説明を求められて、ティナリは信じられないような心地になった。
「何故だって? 今の説明じゃ不十分? 納得できない?」
 キノコを飲み込み、状況を確認する。どうすれば彼は納得してくれるのだろう。
「そうだ。何故お前は……そう思ったんだ? 何故――」
 俺のことを知りたいんだ?
 その問いはティナリにとってあまりにも――そう、あまりにも当然すぎて、説明することすら失念していた。
「君と仲良くなりたいから。友達になりたいんだ。それじゃだめかな?」
 そう告げた時の大マハマトラの表情といったら、きっとティナリはこの先も忘れられないだろう。これがいわゆる、鳩が豆鉄砲を食ったような表情かと頭の片隅で考えた。最後のキノコを口に放り込んで、彼の返答を待つ。
「……そうか」
 まるでその言葉の意味を噛み砕くように彼は小さく呟く。
「そうか」
 もう一度そう呟いて頷いた彼は、「分かった」とティナリの目を見る。
「……え、いいの?」
「ああ。何が聞きたいんだ?」
 あまりにあっさりと承諾され、拍子抜けしたティナリは状況を把握するのに数秒を要した。だがこれでようやく彼の話が聞ける。そう思うと自然と尻尾が揺れてしまった。
「何でもいいよ。君の好きなことや得意なこと、休日は何をしているのかとか……そうだ、学生の頃は何を学んでいたの?」
 聞きたいことは無限にあった。マハマトラの業務については恐らく秘匿事項が多いであろうから触れないが、その他のことについては何でも知りたかった。
「俺に学生時代はなかった」
「へ?」
 ティナリの最後の問いを拾い上げて、彼はそれを否定した。思わず間の抜けた声が飛び出す。
「俺は素論派賢者ジュライセンに師事していたことがあるが、教令院の正式な学生ではなかった」
「そう、なんだ」
 彼の口から明かされたのは意外な内容だった。賢者が教令院の学生以外に対して知恵を授けるという話は聞いたことがない。それに――目の前に座る大マハマトラの容貌を見て改めて思うことだが――自分とそう変わらない年の頃であろう彼に学生時代がなったということを、少し寂しく感じた。
「どうかしたか?」
 ティナリの歯切れの悪い相槌を不審に思ったのか、彼は首を傾げる。真っ直ぐにこちらを見る瞳は綺麗な緋色で、片方が髪に隠れて見えないのは少しもったいないなと思う。
「いや、なんでもないよ。どうしてジュライセン先生に師事を?」
「それは今は話せない」
 ティナリの質問はあえなく弾かれる。
「そんなぁ」
「俺の個人的な事情が絡む。ここでは話せないだけだ」
 つまり、話してくれる気はあるらしい。それだけティナリのことを信頼してくれているのだと思えば、喜ぶべきなのだろうか。
「そっか。……でも、つまり君は賢者の弟子ってことだよね。それってどんな感じだった? 教えてよ。あっ、もちろんさっき聞いた、君の好きなことも教えてよね」
 身を乗り出してティナリは矢継ぎ早に質問を繰り出す。たくさん聞かせてほしい、君の話を。
 その後も、教令院の一画で午後の授業が始まるチャイムが鳴り響くまで話し込む学生と大マハマトラの姿が度々目撃されるようになったのだとか。